トップページへ (1)はじめに (2)日本漢方の特徴と欠点 (3)両医学における病態認識のあり方
(4)専門用語が未熟な日本漢方 (5)日本漢方の処方運用上の欠点 (6)中医薬学の教科書
(7)日本漢方に教科書はあるのか? (8)閉塞状態にある日本漢方 (9)日本漢方が発展する唯一の道
(10)中医漢方薬学 (11)おわりに (12)文献 相互リンク集

   

専門用語が未熟な日本漢方


 以上のように「方証相対」によるパターン認識医学の性質上、<病態認識>が実態的にも観念的にも把握不可能な閉塞状態にある日本漢方において、基礎学が未発達なままであるのは必然的なことであろう。
 たとえば「虚実」の問題において、<体力が余っているのが実証><体力が衰えているのが虚証>と表現する漢方の一般向け啓蒙書籍が多い。その実、漢方の専門家個人個人によって様々にニュアンスの異なった解釈がなされているが、やはり結果は大同小異である(文献5)。この実証、虚証の極めて幼稚な解釈は数々の困った現象を生むことになる。

 現代日本漢方の特異な風潮として、体質ばかりでなく方剤においても実証用、虚証用、虚実中間証用などと規定することに熱心な現象が見られるが、これは病人の状態を常に固定的に捉えることを奨励するような間違った観念を植え付けかねないものである。

 一方、<実とは外因、内因を含めた病邪の存在をあらわす概念><虚とは生体の機能面、物質面の不足をあらわす概念>と規定する中医学のありかたにおいては、合理的な病態把握が可能である。「実とは邪気が盛んなこと指し、虚とは正気の不足を指す」のであるが、従って「実証」とは邪気が盛んなために現れる証候であり、「虚証」とは正気不足より現れる証候である。
 現実問題としてとりわけ慢性的な疾患の場合、「虚実挟雑」状態であるのが一般であるが、疾病の過程はある意味では、正気と邪気との相互闘争する過程とも言える。それ故、中医学には「扶正袪邪」の法則がある。この理由から一般的な慢性疾患では「扶正法」、「袪邪法」を同時に用いる「攻補兼施」が治療原則となることが多い。

 ところが現代の日本漢方に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪(邪気)の存在に対する認識を忘却しかねない奇妙な医学と言わざるを得ない。その奇妙さをカバーするためか、かの徹底した実証主義者であるはずの吉益東洞が提唱した「万病一毒論」という「観念論」を利用して一事を糊塗する以外に、この極めて幼稚と思える漢方医学をどう弁明できるのであろうか?

 このように、「虚実」の概念比較のみでも、既に吉益東洞の時代に<病態認識>に対する検討を放棄して一種の「観念的」実証主義に走った日本漢方の歴史的な失策の後遺症が、現在に到るまで回復出来ずにいるのである。
 その証拠の一つとして、我が国の症例報告の多くは過去の私の漢方経験例報告も含め、中国におけるものと比較して、あいまいな病態認識の記事とその処方の使用根拠の乏しい報告例が目立つ。それは飽くまで、パターン認識術の叙述に終始しがちであり、またそれで良しとするのが日本漢方の特徴なのである。そして両国の治験報告記事を比較すれば一目瞭然、我が国の症例報告のあまりの幼稚さにガクゼンとしてしまうのである。

続きは⇒(5)日本漢方の処方運用上の欠点